支離滅裂な気持ちを語ってみる | 何でも屋さん

支離滅裂な気持ちを語ってみる

どうも最近病み気味

ギルメンは自然と減っていってしまうし・・・・・

というか、何だろう悲しい事が多いのかもね

それも違うか・・・

楽しい事なんて印象に残らないのに、悲しい事ばかり残る気がする

そんな感じ

ただ生きる事に疑問を持つわけでもなく

それでも人生に目的など見出せず

ただ徒然と時が流れる感覚

概して人生とはそんなもんだろうか

いや、それは無いだろう

ただ自分の気分の問題だろうから


もう相当昔から一つの事を悩み続けている

大きな流れで何を目指そうか

生きる意味という物だろうか?

一時はただ人並み以上に幸せな人生をと考えた

だけど結局何が幸せなんだろうか自分には判らない

結局疑問は同じようなものである

こんな疑問を持つ事自体良く無い事なのかもしれない

でも、それじゃ自分は満足しない

何か一つの方向性を持っていないと落ち着かないのかもしれない

でも、最近ではこの世界に慣れすぎて

新鮮な感覚で物事を見れなくなってきた気がする

どうも世界に対して覚めている

それが嫌だから、それだから何か求める物が必要なのかもしれない

自分はこんな自分を精神が壊れてしまってるのでは?

と時折感じたりもする。

よく幼少時に虐待を受けた人は多重人格になるというが、実際良くわかるような気がする。中学の頃はプライドが高い性格と体の小ささから相当苛められた。苛められてもへこむ性格で無かったのが更にあだとなって相当暴力を振るわれてよく袋叩きにされていた。今ではなんとなくその頃に郷愁を感じたりする。痛みも続けて何度も何度も長時間与えられると、精神が体から離れてしまったような感覚でただそこに自分という血の入った袋があるだけという感覚になってくる。朦朧とする意識に血の味、ガランドウのように何も入っていない自分の体、すべてを捨てて消えてゆくような感覚、絶望に対する諦めという感覚だろうか。かろうじて残るプライドが自分をそうさせる、ただ何も考えずそこにあるだけの人形のように。いつも、意識が戻ると寒かった。冷たいような生暖かいような体、自分という性能を確かめてみる。

なんとなく、またこうやって文章化して懐古してしまう。

自分にとってここが原点だったのかもしれないと今思う。結局この時まで自分は恵まれた生活をしていた。恵まれた家庭に、友人、・・・・・。なにか不自由が無いと人は強くなれないし何も求めない。中学の頃はただ自分は脆くとも白刃のような触れる物を切り裂くような強さが欲しかった。ただ求めて、それをいつしか手に入れていた。ただ漫画の主人公のようにうまく行くわけもなく、体を鍛えるのに2年は掛かったし、弱いのに敵対するもの全てに噛み付いたから何度も入院したりした。

結局高校に入ったら、誰も自分を苛めたりはしなくなった。

その時は身長も伸びていたし、額や拳に縫い跡だらけだったから誰もそんな気にはならなかったのだろう。ここで、何か目的を失った自分を掻き立てたのは受験だったのだろう。多分今と同じように何か目的が欲しかったのかもしれない。勉強するとは実に安全で良いものである。

今は大学にいて就職に向けて資格を取ろうとも考えたが、結局同じ事の繰り返しだと言う事に気付いてどうも乗り気ではない。敵わぬ夢でもいい。何か大きなやるべき事が欲しい。そう考えても究極的な理想の応えは見つかる事は無いだろうと、判ってしまっているから....ただ鬱になる。

自分の理想の死に方は、自分より大事な何かのために死ねたら良いと思ってる。たとえそれが今すぐきたとしても。生きるというのはあまりにも連続的で評価し判断に困る。とありえず今は永遠に生きておけば万事解決かなと思ったりするが、多分叶わぬ夢だろう。あまりに考えを客観視すると、考えの根本的正当性すらわからなくなってゆく。考えるとは何だろうと考える事などまさにメビウスの輪的な思考を考えてしまう。自分は何らかの方向性をもって生きているはずなのに、それに疑問を持ち考え修正する、しかしそれ自体が方向性である。大概数学的にはこのような事象は関数で方程式を弄ると解けてしまったりするが、論理的に言葉で考えても答えはでそうもない。永遠に終わらない思考を重ねてる気がする。


さて、何書いていたんだろう、と見ると長文を書いている

結論:多分こんな事ばっかり考えてるから暗くなるんだろう♪



徒然と永遠に終わらない一瞬が降り積もる

明日の夢を懐古するんだろうか

長い長い夜の夢を見る

深遠へ落ちてゆく

どこか遠くに行ってみたくて

ただ静かな闇に吸われてゆく